よかった探し

将来が不安だとか先が見えないとか変なもん観ちまったことでいちいち思い悩んでいても結論がまとまらない。だったらこれから先こんなことがありそうとか、今日こんなことがあったなど、いいことに思い巡らせてみたら心も落ち着きそうである。そんなよかった探しをしてみよう。謙虚でいることも大切だけど、せっかく近くに人がいるのだからいろいろ話してみたい。そんな風に思う。

あと、人を必要以上に疑ったり、嫉妬するのもよそう。所詮他人は他人だから、生き方が違う。それを分かり合えることがおもしろいんであって、そこで傷つくのはなんか、違う。

気遣い

ふと思ったが、近頃自分の思いばかりが浮き出すぎて相手の気持ちは考えたことがあっただろうか。

自分の状態が悪いと他人のことを考えるのが後になってしまいがちでどうにも置き去りというか、配慮に欠けていたような気がする。

とりあえず言い方が悪かったこと、謝ってみよう。そうすればなにか気づくこともあるかもしれない。

とりあえずこのように思えたことをプラスとして持っていくべきだ。

体が虚している

ここ一週間、睡眠の質がかなり悪い。間違いなくストレスによるもので、被害妄想の類だろう。これから先どうなるのだろうとか、もしいなくなっちゃったらどうなるのだろうと頭をよぎることは1月以上続いたからだ。その結果が眠りが浅かったり、早く覚醒しすぎてそこから寝付けないということで表に出てしまったのだろう。

そんな訳で針治療に行ってきた。効果があってホッとしている。

 

こちらの想いが強すぎて、温度差を感じていた。それでイレギュラーが起こると頭ではわかっていても受け入れられない。

今回、行き過ぎた想いによって心がこわれた。情けないと思うがなにぶんはじめてなのでいい経験になったと思うほかない。優しいから傷つくことはいいことかもしれないが、きっとそれだけじゃない。

これからはアプローチを少し変えていこう。気晴らしをできる環境を整えたり、熱を冷ますために他事を考えるようになれればいいのかなという心境だ。四十六時中考えるのはよくないのだ。

俺、30歳になってしまった・・・

三十路突入である。いまだにアニメで人生学んでいたりするが、問題ないよな?

30歳ともいえば社会では中堅感がでてくるものだが、あまり実感が湧かない。でも野球やってると年長者感はでているから、こっちの思惑関係なしに勝手になってくものなのであろうか。それ以上に身体の不調が気になる。まだ老いる年ではなかろうに。

 

どうがんばっても自分の力だけで乗り越えられないことってあるのよね。それに気づかせてくれた人にも感謝である。まだまだこれから、答えを求めることを急いてはいけないのだ。

理解するって・・・

私は、あなたがその人とどのような関係であったかわからない。見たことのない人についてあれこれ考えることはとても困難であるし、興味をもつこともしづらい。

でも人を理解するってこうなのかなって思う。あれこれと詮索しすぎても行き詰る可能性だってある。

だからわたしはあたふたせずにいつも通りにやっていきたいと思う。向こうから言ってくれれば励ましてあげればよい。思い出の共有も大事なことであるが、思い出の理解もきっと必要だ。

ぼくと社会学

社会学という学問があり、私も学生時代は一応であるが門を叩いたものである。

では社会学とは何をする学問なのだろうか?経済学は経済を考え、教育学は教育についてを考える。そういえばなんとなくわかる。

が、社会学はというと、ピンとこない。社会について学ぶといわれても社会って?このような質問は何度かされ、私も実のところまだはっきりと概要を伝えることができない。問いかけ中である。その場しのぎのために、人と人との死生観の違いとか、福祉関係のことを学べるよといっている。浅いと思う。

大学を出てこれらが役立っている実感はあまりないが、今でも社会学を考えていることはきっといいことなのだろう。あまり、一方的な批判というか、狭窄的な物言いはしなくなった。物事には、個人が原因とする考えと社会全体に原因があることを知ったからだ。

このようなことを踏まえると、社会学とは、「他者を考える学問」なのだろう。

 

 

チボー

前回から約2ヶ月・・・。ブレンパワードから観る人間の自己形成が云々という話がしたかったと思うのだが、指が動かなかったのか、それとも自分の悩みはこの程度のものだったのか、自分のダメさ加減に嫌悪するところである。

結局のところ、人と人が違うってことは定理なのだから、うまい落とし所を見つけて擦り寄っていかなければならないのだろう。ブレンについてはまた別の機会に考察してみたい。

 

さて、読書の秋なんだよと言われて読んだのがつげ義春だから少し心情的に参っている。「別離」を読んで胃が痛くなるのはいつものことだ。

漫画家として食えなくなった主人公が嫁を働きにだし、そこで嫁が浮気をし妊娠したことに対し絶望した主人公が睡眠薬で自殺を図る話だ。

命だけは救われるものの物語としては救われていない。バッドエンドだ。私自身真に受けやすいので落ち込んでしまったのだが、最後の解説を読んでハッとした。

作中主人公は「夢もチボーもない」というフレーズを使うのだが、「チボー」とは希望のことだ。「夢も希望もない」となるとそれこそなにも残っていない気にさせるが、作

 

義男の青春・別離(新潮文庫)

義男の青春・別離(新潮文庫)

 

 

者独特の「チボー」と言い換えることによってマンガであるゆえのコミカルさとか、今の状況に対する脱却を目指す意味があるよねというものだ。

そこがつげさん大人だよなと思わせるようで、なるほどいつか時が忘れさせてくれることもあるのかもしれない。そう思わせた読書でした。